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 右隣の女の子は、メモ用紙に「自主性」と書いて満足した表情を浮かべ、左隣の女の子は、同じメモ書きをして首を傾げていた。就職セミナーのブースの出来事である。真ん中のぼくはといえば、トイレを我慢しきれず、退屈なみずほ情報総研のブースを去った。また今は、パソコンの前でビールを飲みながら、尿意をもよおしつつ、本日のログを書いている。

 ぼくの就職活動の皮切りとなった、今回の合同セミナーでは、このブログ名でもあるシンクタンクを三つほどみてまわった。野村総研、日本総研、みずほ総研である。
 ブログでも書いているとおり、欧米のシンクタンクは公共政策を担う企業であることが多く、そのフィールドは戦略・業務コンサルであるが、日本のシンクタンクは金融機関のIT部門であることが多く、そのフィールドはITコンサル(システムインテグレート)であることが多い。

 シンクタンクの見方の第一に、ITコンサルと業務コンサルの売り上げ・営業比率が重要であるが、上記のシンクタンクでは2:8~3:7程度と同程度で、あまり差別化ができない。まぁ妥当な差別化は、野村総研は証券・金融に強く、日本総研はメーカーに強いといった、コンサル対象業務の違いだろう(いまのところ、みずほ総研は不明)。

 今回のセミナーでえた体験としては、それぞれのシンクタンクから受けた印象は、それぞれ異なる。みずほの人事担当の説明はひどく、それがたとえどれほど優良な企業であっても、強みや魅力が伝わってこなかった。その反面、野村総研の人事担当は、テンポよい気さくな説明で、企業の魅力を十分に引き立て、なおかつ業界説明もうまく、コンサルタントという曖昧な業界の見方を学ぶことができた。また、野村総研からは上昇志向が強い印象を受け、育成制度などに関してはあまり熱心な様子でなく、ついてこられる奴がついてこい、といった体育会系の臭いを若干感じた。その反面、日本総研は、堅実な説明で、可も不可もなくといったところだが、人事担当の早口なしゃべりは、プレゼンとしてはいまいちだが、頭の回転の速さと正確さを伺い知ることができ、一流企業であると再確認できた。どの企業も、コンサルタント職の枠は少なく、想像以上に競争率が高くなるだろうな。

 最後に、今回の目的である東京都のブースでの出来事は、まったくもって想像の範疇内であった。キャリアウーマン的な自信過剰な女性職員は、東京を誇りにしており、まぁ軽く話を合わせる程度。もう一人の都市整備局の課長は、小声でぼそぼそしゃべりながらも、言っていることがブラックユーモアに溢れていた。社会的にみれば、あまり優秀とは言えないだろうが、優良企業の優秀なサラリーマンによくある自信過剰や、短絡な姿勢がなく、部署間・政治の力学にはさまれた、どうしようもなく実に人間らしい人であった。

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「アキシブ」?消費者なめんじゃねぇぞ、ふ*ーーっく!
っと、怒りあらわな書き出しですが、ぼくは別にマーケッティングを批判するつもりはないし、消費者を考慮しない芸術志向主義に賛同するわけでもない。音楽を不特定多数に聴いてもらいたいならば、産業として、売り方をブラッシュアップしていくべきで、魅力的なわかりやすいカテゴリをつくることは有効な方法だろう。ただ、「アキシブ」というカテゴライズによるマーケッティングは危ない気がする。

 まずは、その源流にあたる渋谷系について振り返ってみたい。渋谷系音楽は、東京FM、フジテレビ、などの広告業界を主体とした、偶発的ではあるが、高度なマーケッティングによる音楽である。当時、小沢健二、スチャダラ、安室などはポンキッキーに出演し、楽曲提供を行っており、また、東急による渋谷再開発は渋谷を若者のスポットとして、さらにはCD開発が若年層に自前のステレオをもつことを可能にした。この他にも、東京FMのJ-WAVE開局など、渋谷系音楽が生まれた要因はとても複雑だし、偶発の重なりであり、外部要因が強い。でも、渋谷系の音楽が、ただ単に広告業界による戦略によってうまれたものかといえば、そうではない。そこには、トラットリアやエスカレータなる比較的アングラだったレーベルの躍進があったし、こうした音楽に賛同する海外レーベルとのコンピレーションも多数でている。

 では、そうした渋谷系に対して、アキシブとは何のか、Wikipediaにはこう書かれている。「渋谷系を源流とした音楽性やファッション性を持つ音楽が、アニメソングやアイドル歌謡として積極的に用いられることでアキバ系への浸透がすすむ現象を、J-POPのひとつのジャンルとして再定義した造語である。」その代表として中田ヤスタカやRound Tableの名前がある。このミュージシャンを批判する訳ではないし、この人たちはともておもしろいと音をつくっていると思う。「アキシブ」がこうした音にとどまっているならば、ぼくは全然気にしないし、それはとても楽しいことだと思う。

 しかし、MOSAIC.WAVや中沢 伴行(I've)などの音が、「アキシブ」と呼ばれるようになったとき、ぼくは冒頭のように怒り狂いそうになる。こうした音は、上記のような「アキシブ」とは、一線を画している音であることはまちがいないだろう。渋谷系が、マーケッティングに支えられながらも、独自のジャンルであったのに対して、こうした音は、(ある意味では渋谷系以上に広告業界に依存しているが)完全にアンダーグラウンドな音である。もしこの手の電波ソングが、有名無名のおしゃれ(とみなされる)ミュージシャンによって引用されたときどうなるだろうか。むしろ、Wikipediaにはこう書かれる必要がでてくる。「アキバ系の渋谷系への浸透がすすむ現象」と。

 今では、多くの人が、パーヒュームのCDを買っている、少なくとも彼女たちが有名メディアに露出できるていどには。もし、例えばパーヒュームがこの手の音を引用しだしたときに、それはあたかも渋谷系がネオアコやドリームポップを引用したように、消費者は、Stereo labやDimitri from parisを探したように、MOSAIC.WAVや中沢 伴行(I've)を探して買うだろうか。

 ぼくは、かれらはこうした音をほりかえさないと思う。現在のプレス状況では、MOSAIC.WAVや中沢 伴行(I've)の音源は、アダルトゲームやアニメのサントラでないと入手しづらいからだ。そうした場合、アングラな秋葉系の音楽は、渋谷系に販売のイニシアティブをとられるだけになるだろう。言い方を変えれば、「アキシブ」は、アーティスト名とジャケットをおしゃれにして帯に「アキシブ」をかかげて、売れる棚に移行するだけ、という危険性を抱えているのである。

 つい、長文になってしまったが、そういう自体になってしまえば、ぼくはこう言うしかないだろう。「知ったこっちゃねぇや」と。





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立喰師列伝 通常版立喰師列伝 通常版
(2006/09/22)
押井守山寺宏一

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 スカイクロラの広告をこちらにまわせよと、無粋なことを思わずにはいられない秀逸な作品である。まぁ、スカイクロラはスクリーンで見てのこそのものではあるんだけれども...

 『立喰師列伝』はありそうでなかった、「戦後の偽史」アニメである。デジタルカメラの実写映像を、3DCG加工した、いかにもな表現技法は副次的な表現にすぎない、って言い切ってもいいほど脚本構成が第一。

 押井氏は、「今まで自分が仕事を通じて関わってきた人々を、この映画で記録として残したい。それに、知っている人間じゃないと、CGでいじくるときにつまらない」と、うそぶいているけれど、押井氏がこれまでの作品で名作小説の引用をしてきたように、ここでは'70s~'80sの日本の小説構造に焦点をあてたようだ。

 それは、政治語りが希薄化したこの時期に、文壇で流行ったやりくちである。消費社会として虚構をあそびつつも、政治的脚色をほどこすもので、村上龍の『コインロッカーベイビーズ』などがその代表作。作家個人としては、村上春樹がもっとも確信犯的に用いた手法で、ねずみ三部作などに顕著に現れている。『立喰師列伝』でも、村上春樹の『パン屋襲撃』をパロって、テロリズムに結びつけているなど、おもわずニヤニヤしてしまう。

 立ち食いという、無意味で消費多寡な行為を、国会議事堂の前で行わせたり、ファーストフードを従来の食生活に対するテロとしたり、就職氷河期の若者にフランクフルトの夢をみさせたりと、「偽史」的なつくりこみがおもしろい。偽史アニメの代表作といえば、もちろんガンダムなのだけれども、ガンダムは「ありえない第二次世界大戦後」をSFという形で再構築している点で、全然ベクトルが違う。また、ガンダムの歴史は、連作によってデータベース量を増やすっていう手法でつくられていて、このアニメ的な切り口のあまさと比べると、『立喰師列伝』はとてもスマート。

 『立喰師列伝』は日本の戦後からの現在までを偽史として再構築した点で、映像表現として新しく、ストーリングテリングとしては古い。しかし、これを簡単に映像表現におとりこめるかってなれば、こんなことができるのは、日本では押井氏ぐらいだろう。50年というスパンを、パロディとして再構築して、90分に納めるという、信じられないような荒技をクールにやってのけている。

 最近は、ジャパニメーションに、無駄に経産省がガッツいてうごいていたりするのだけれど、実は、低予算の完全な国内むけアニメが一番のダークホースだったってこと。

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 I radioのブログパーツを貼ったついでに、渋谷系の音楽、トラットリアとエスカレータ周辺についての記事。もしこの記事を読んで、興味をもったらぜひ聴いてください。とても和やかなネットラジオです。


WASTED TIMEWASTED TIME
(2000/10/28)
NEIL & IRAIZA

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 Neil & Iraizaの使命は、堀江氏いわく、「Shoegazerを可愛い女の子に聴かせる」ことにあるらしい。えてして妙な表現である。しかも過不足がない。Neil & Iraizaのラジオプログラム「I radio killed radio star」(BugglesのVideo killed radio starのもじり)を聴いてもらえればわかるのだけれども、堀江とチャーベは、数多のミュージシャンのなかでも、その庶民性と面白さがずばぬけていて、それだけで虜になりそうなミュージシャンである。それは楽曲にも現れていて、自由奔放でありながら、一貫した音楽理論はすごく魅力的。つまり、おもしろすぎる。唯一のヒットである「Wasted Time」では、ベースをうならせ、丸いシンセ音をちりばめ、多種の管楽器をならして、幾十もの多重録音で構成したポップミュージックである。渋谷系の代表曲といえる曲である。
 現在、堀江氏はバックで活動することが多く、チャーベはキュビでの活動が多くなっていて、それらのファンはうれしいだろうけれど、個人的には悲しすぎる。きっと、新譜を待ちこがれている人は多いだろう。売れれば、すぐしかける国内音楽産業において、これほどまでに新譜をまたせるアーティストってそうそういない。って売れていないんだけれどね。








 おざけんこと、小沢健二の名前が単独でしられはじめたのは「今夜はブギーバッグ」(1994/03/09)、「カローラⅡにのって」(1995/01/01)の頃だろう。もしあなたがその頃、若妻だったならば、「オナラで月までいけたらいいな」を思い出すかもしれない。
 ぼくは必ずしも、小沢健二からは渋谷系といった印象を受けない。好きなアルバムは「犬は吠えるがキャラバンは進む」であって、「毎日の環境学」ではない。このファーストアルバムは、とてもシンプルなロックであり、リリックも渋谷系の文脈ではない。小山田圭吾からみれば、無粋に映ったのかもしれない。でも「昨日と今日」ではじまり「ローラースケート・パーク」でおわるこのアルバムには、リリックが一貫したストーリを構成しており、それはとても力強い。
 あまり覚えていないが、このアルバムに対して、スヌーザーが「言いたいことを全て言い尽くした」というレヴューを書いていたという記憶がある。これ以降の小沢健二も素晴らしく、特に「Life」はポップミュージックの完成と絶賛されているが、何故か”ヘド”がでそうなほど、ぼくはこのファーストアルバムにとりつかれている。それが何故なのかは、とても個人的な話であるが、小沢健二の音楽の本質が青春にあるならば、まぁ個人的な事情でもこのアルバムを繰り返し聴いてもいいのかもしれない。








 カジヒデキの音楽は、まぁレヴューなんて必要なくて、好きか嫌いかで判断してもいいような量産音楽であることに違いはない。しかし、音楽性が量産的・消費的であることと、くだらないこととはあまり関係がない。きっとカジヒデキの音楽はどこにもたどり着かないだろうし、明確なフォロワーも出てこないだろう。けれども「デトロイトメタルシティ」が売れたことにちがいはない、ってそれは違うか。
 まぁ、カジヒデキを一言で表現すると「人生はくだらないけれど、女の子は可愛い」ってことだと思う。ミュージシャンが音楽にリーゾンディーテルを求めなくたって、ときめくようなハッピーな音を鳴らせることができるって。



テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

キング・オブ・スティング (ハヤカワ文庫 NV ク 19-1)キング・オブ・スティング (ハヤカワ文庫 NV ク 19-1)
(2008/07)
マシュー・クライン

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新宿南の紀伊国屋で平積みになっていたのが、これ。ハヤカワ文庫の棚だったので、SFかと思ったのだが、そうではなく”コン・ゲーム”(confidence game)と呼ばれるジャンルであった。このジャンルは騙し合い、詐欺を主題としてギャングやマフィアといった世界を題材として描かれるようであり、イギリスやアメリカでは市民権を得ているらしい。

 しかしこの作品は、まぁ紀伊国屋で平積みされていることからも想像できるように、あくまでエンターテイメントとして書かれている。
 オンボロアパート住まい、家庭問題、三流の赤字ビジネス、といったどこにでもいそうな情けない男を詐欺師とした一人称で話は進む。その他の登場人物の色づけもうまい。文字Tシャツといったオタク的なプログラマー、謎のブロンド美女、どうしようもなくダラケタ息子など、セオリーに則って書かれている。
 一般に想像しがちな、ギャング・マフィアを主題としたものとは少し違うもので、日常的な感情移入ができる。全体的にステレオタイプすぎる感もあるけれども、丁寧に書かれていて、イメージがはっきりしている。

 何よりも、軽快な文体と剽軽な口調がきもちよく、テンポがいい。夜に読み始めてしまい、翌日大学をさぼるはめになった。傍目に情けない50代の男が、切れ味のいいユーモアをもっているってことだけでも、どのような文体か想像できるはず。まぁ、能ある鷹はなんとやら、ってのはこの作品のキーではあるのだけれど。

 情けない男がもつ良さっていうのは、現実で気づきにくい。でも、フィクションではどうも愛らしく感じてしまう。イギリス人やアメリカ人ってのは、こうした書き方がホントうまい。日本の場合、情けない男を主人公とした良作って、太宰ぐらいしか思いつかないんだけどね。  えっ、全然愛らしくない?



ラストエグザイル No.13ラストエグザイル No.13
(2004/07/21)
浅野まゆみ斎藤千和

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 Gonzo25周年記念で作られたアニメ。ヴィーナスペーターこと、沖野俊太郎が手がけたOP曲「Cloud Age Symphony」がOPとマッチしていてカッコいい。アキシブなんてカテゴリーで、マーケッティングがなされているけど、最近ではアニメの楽曲に、高水準のポップミュージックが起用されることが珍しくない。(攻殻のゲームのSTでがっつりハードテクノコンピがでているなど、必ずしも引用が渋谷系に限られている訳ではないのだけれども。とりあえずマーケッティングとして動き出したのがこの「アキシブ」、という解釈が正しい)

 アニメの音楽ってのは制約が少なく、菅野よう子の形容詞「黄金の小手先」(つまりは引用のオンパレード)みたいなところがあって、それはトラットリアでも同じであったはずだし、この二つの親和性は高い。まぁ、パクリってのは秋葉系や渋谷系にかぎらず、日本のオハコではあるのですが。

 Last Exileは二次元、三次元(ポリゴン)でCG技術をふんだんに使って、Gonzoの得得意分野であるメカニックを、記念碑的に好き勝手に、でも破綻することなく、書いたぜ、というアニメ。マニアな人にはたまらない描写、世界観はもろRPG的、ストリーは王道一本で構成されており、みごとに日本コンテンツが凝縮されている。都市デザインはもちろん、アニメからみる中性的な中世ヨーロッパ。脚本や演出も悪くなく、もちろん音楽も悪くない。ここには、ガンダム的なプロパガンダやそれに付随する政治的な語り口もなければ、攻殻的な社会科学的な切り口もない、または最近のジブリ的な神経症的な要素もない。完全にコンテンツを素地にした、エンターテイメント一色のアニメである。
 
 2クールのうち、前半1クールでは、Gonzoというアニメ制作会社のすごさを知ることができ、後半1クールでは、GonzoがやはりGonzoであることを改めて思い知る。
 ネット上では、「良いGonzo」「悪いGonzo」という表現をみる。まるで半陰陽みたいだけれども、わりと適切な表現ではある。一定の水準で作品を完結させれないところが、Gonzoが一流とみなされないことの(少なくともぼくにとっては)、一番の原因であり、Last Exileでは、それが脚本、ストーリ構成にでてしまった。18話~25話にかけて、物語は遅々として進まず、アクビをかみ殺しながら、高水準の作画をみることになる。「天使の卵」ならば、表現技法にその重きがおかれているのだけれども、エンターテイメントとして書かれたものは、いくら作画がすばらしくても、退屈さは致命傷。結局は、このアニメの感想は、と問われれば”つまならない”になってしまう。
 映像技法に関しては、新しいところが多いのだろうけれど、そこはやはりアニメであって、開発費予算的に優れていて、一瞬のアニメーションに特化したゲームのほうが水準が高い。つまりは、ファイナルファンジーをみてからじゃ、驚けないよと。
 
 アニメ制作といっても、やはり優秀なマネージメントは必要なんだなと知ることができる一本。









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 細分化か、それとも単純化か


Apple iPod shuffle 1GB シルバー MB225J/AApple iPod shuffle 1GB シルバー MB225J/A
(2007/09/06)
不明

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 I-podが故障して、I-pod shuffleを使うようになってから整理整頓の大切さをイヤというほど思い知らされた。 使用している shuffleは2GB、160kbpsでおよそ500曲。まぁ、文字通りshuffleのみで使うのならば、ファイルをカテゴライズする必要なんてないのだが、やはり持ち運ぶ曲はフィルターをかけて選別したい。ある整理のハウトゥー本では、ファイルは内容でカテゴライズせず日付で管理せよ、とか書かれていたのだけれども、音楽ファイルはそうはいかない。

 最近は、appleもGenisisなんていうおもしろいものをつくってはいるのだけれど、ぼくの音楽データの2、3割はGenesinに登録がない。それだけでなく、やはり他人がかけるフィルターと自分がかけるフィルターは違っているというか、別のフィルターの可能性はあるわけで...。ということで、片っ端から、曲のジャンル分けを行った。

 やってみたところ、これほど骨のおれる作業だとは思っていなかった。途中からは、「音楽を管理している」というよりも「音楽を単純化している」のではないかという気がしてならなかった。およそ20.000の曲をジャンルわけするに、探しやすくしようとすると、無駄にカテゴライズの基準を厳しくしなければならないし、でもレーベル単位とかで管理しようとすると、レーベルカテゴリをみつけるのが難しくなる。つまるところ、「探しやすさ」と「自由なききかた」っていうのはトレードオフになっているなぁと、身体で感じたわけです。

 映画『ハイ・フィディリティ』ばりの、レコードマニアってのは、一体どうやってレコード管理してんのかね。I -pod世代は音楽を消費物としてしか扱ってなく、世代論にしたかないんですけど、今回の整理では、今後はまったく聴かないであろう音楽をバンバン消去してしまった。いやぁ、まったく無駄が多いな。

 カテゴライズの基準は、1.国、2.性別、3.レーベル、4.年代、5.ジャンルなどがあるのだけれど、ここはベタにジャンルで行った。だいたい70ジャンルぐらいで収めた。まぁ、ジャンルの定義みたいなものを(実質的にはそんなものないのだろうけれd)、再確認できたって点は、あながち悪い作業ではなかったかな。
 とにもかくにも、もう少し自分の嗜好をはっきりさせて、もう少しましなデータベースにしたいな。とかいいつつ、ここ1、2年だけでも嗜好がけっこう変わっているのに、10年後の音楽生活はどうなっているのか想像もつかない。

 友人が定義する名曲は、「今から10年後も絶対きいている音楽」だそうです。素晴らしきかな。





■ジャンル一覧

1.頭文字ー大枠
2.次ージャンル
3.末尾ーサブジャンル
感覚的に三段階


C_Classic
E_Ambient/Detroit Techno
E_Break Beats
E_Chill Out/Trip Hop
E_Electronica Dance
E_Electronica Pop/House
E_Electronica techno
E_Rock Kraut
F_Funk/Electronica Funk
G_Gram
H_Grunge/Industrial
H_Hard-rock
H_Heavy Metal/Emo/Hardcore
H_Hip Hop/Rap Metal
J_Cross
J_Jazz Acid/Dance
J_Jazz big band/club
J_Jazz contemporary
J_Jazz Funk
J_Jazz Hip Hop
J_Jazz Jam
J_Jazz Lounge
J_Jazz New/Free
J_Jazz New/Old
J_Jazz old
J_Jazz R&B/Soul
J_Jazz World
N_New Acoustic
N_New Wave
N_Punk/Punk Pop
P_Brit Rock/Brit Pop
P_Pop Japanese
P_Pop Japanese *
P_Pop Modern
P_Pop Post
P_Pop Power
P_Shibuya_Trattoria
P_Singer Song Writer
R_Domino Label
R_Rock Alternative
R_Rock American old
R_Rock British old
R_Rock Dance
R_Rock Electro
R_Rock Garage
R_Rock Jam
R_Rock Low-fi
R_Rock Low-fi 20-
R_Rock Math
R_Rock Noise
R_Rock Post
R_Rock Progressive/Psychedelic
R_Rock Shoegazing/Space
R_Soft Rock
S_Raggae/Dub
S_Ska/2tone
T_Blues
T_Folk Rock
T_Soul/Traditonal
T_Swamp Rock/South Rock
V_vocaloid
W_others
W_Radio
W_Sound Track
W_Study
W_World



テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

 熱心な読書家でないかぎり、本を選ぶときに真っ先にフィルターとなるのが、出版社ではないだろうか。これは、小説の同タイトルにもあてはまるけれども、新書ではこうしたフィルターはホントによくはたらく。これはマーケッティングの問題ではあるけれども、光文社の新書は好んで手にとる人は、一体何を求めているのか、ぼくにはよくわからない。と、批判的な書き出しになってしまったものの、別にそれぞれの著者を批判するつもりはないし(チョムスキーの光文社新書もある)、JJを読む女性を毛嫌いしているわけではない。
 ただ光文社独特の、煽りにちかい書き方や突発的な問題提起は、どうも肌にあわない。ベストセラーを例に挙げれば、『下流社会』は日テレとコミの煽り商売だし、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は非合法商売をあたかもまっとうな経営のごとく紹介している。

 最近は、古典の復刻ビジネスにあやかろうと、古典新訳文庫をだして、『カラマーゾフ兄弟』が100万部のベストセラーで話題となっているけれども、それ以上に、ネットでは誤訳、文体歪曲での大騒ぎ。光文社古典新訳文庫をみると、中公クラシックスのありがたみを実感するね。


実は悲惨な公務員 (光文社新書 340)実は悲惨な公務員 (光文社新書 340)
(2008/03)
山本 直治

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 『実は悲惨な公務員』は、著者の職務体験をもとに、公共団体の組織制度や職の倫理について書いている。「あんまり公務員をいじめるのもよくないよ、彼には彼らなりの論理があって、叩くならその根幹の制度を叩かなきゃ」、と言っているのだけれども、そもそもこの公務員バッシングってのも、昨今の社保庁問題のように、マスコミのネタでしかないところがあって、これもその煽りでしかない。中身がカッラッポな情報ならば、別の面では役にたたなければならないということだろうか。


高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)高学歴ワーキングプア
「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

(2007/10/16)
水月 昭道

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 もう一冊、『高学歴ワーキングプア』。こちらは、文科省のえげつないやり口・政策と、それに騙されて博士課程に進学した若者の話。切り口がすっきりしていて、データの意味するところもわかりやすくて、個人的には良書の類い。
 日本の研究水準をあげるという名目のもと、大学の主導権を学部から大学院に移行する(つまりは大学院の学生数を増加させる)大学院重点化計画が行われ始めたのが、1991年。これに伴い、大学院生進学率にあわせて、助成金が支給されるようになった。この計画は、とてもつもないスピードで進展して、東大、東工大などでは、学部生よりも大学院生が多くなっている。さすがは、文科省の実行力といいたいところだが、残念なことに、日本の研究水準が上がっているかはともかく、大学院生の正職での就職率は大幅な減少。博士の受け皿といえば、大学教授や研究職なのだけれども、こうした職種のポストがそう簡単に増えるはずもなく、しかし、一般職に就くには、少し年をくっているし、学会という世に不慣れで頭でっかちな世界になじみすぎている。
 法人化していく大学機構では、すでにえげつないビジネスがはじまっている。私立大学では、大学試験が行われる冬よりも前に、OA入試なる特例試験(学力試験はない)での入学者を増やすなど、青田買いが増えている。

 光文社だからといって、当然、全てがひどいものだとは限らない。あくまでリスクの問題なのだ。たまには、出版社フィルターをはずしてみるのも悪くないと思えた一冊だった。


 

Press on [12 inch Analog]Press on [12 inch Analog]
(2007/10/08)
Lack Of Afro

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「Press On」  Lack of Afro
もし、アナタが検索エンジンに「Lack of Afro」と打ち込めば、たくさんの洋楽専門店のアドレスが返ってくるだろう。そう、一部の方面で売れているんです。
 Lack of Afroとは、マルチプレヤーAdam Gibsonのソロプロジェクト。イングランドの南西部エクセター出身、現在ロンドンで活動中。Small Facesの「Afterglow」をサンプリングするなど、そのモッズぶりは、ジャズ、ファンク、エレクトロニカなど幅広い音楽的嗜好をもっている。ジャケットやバンド名のキャッチーな雰囲気は、楽曲にもそのまま現れていて、ワウ・ギターやマッチョなドラムさえもが、何故かやわらかくポップにきける。
 このバンドの話題性の一つが、Arctic Monkeysの「The Sun Goes Down」のカヴァー。ハモンドオルガン(はじめて耳にする名前の楽器であるが)やワウなどのエフェクターで、あのコマ切れみたいなドライヴを、やわらかい、でも重いファンクヴァージョンにカヴァーしている。ファンクの深いリズムを壊さずない、こうしたポップなメロディーは、フロアだけでなく、リスニングとしてもモッテコイ。

□引用・リンク
http://musicase.blog117.fc2.com/blog-entry-39.html




Skimming The SkumSkimming The Skum
(2007/05/11)
レフティーズ・ソウル・コネクション

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「Skimming The Skum」 Lefties Soul Connection 

 こちらは海峡をわたって、アムステルダムのバンド。lefties soul connectionは、音楽的には、かなり粗い。無粋なヴォーカルを平気でかぶせるし、ギターのエフェクトが強いし、ドラムはドカドカ、オルガンはゴロゴロしている。DJシャドウの「Organ Donor」をカヴァーしていることからもわかるように、こちらはHip-Hopや折衷主義のDJからの評価が高い。Jazz Funkとして、洗練された音質やリズムよりも、新しさが評価されているってことかな。Medeski Martinは聴かないけれど、Benevent Russoduoは聴くといった、Jazzはだめだけれどもオルタナのジャズは好きな人は、きっと気に入る。

□引用・リンク
http://www.bounce.com/article/article.php/3469




Step It UpStep It Up
(2006/03/07)
The Bamboos

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「Set It Up」  The Bamboos
 最後に、大西洋をわたって、オーストラリアのバンド。よく、最近のディープファンクが「現在進行形」って説明されるけれども、これは世界各地で、バンドが局地発生的に、それぞれの音をもってでてきているからと思う。そんな中、The bamboosはかなり注目されている。ファーストの『Set it up』では、オーセンティックですばらしいく、セカンドの『Rawville』ではホーンセクションを加えたり、歌ものが増えている。『Rawville』は、カットで数曲しか、もっていないのだが、Alice Russelを迎えた「Bring It Home」、Kylie Audistをフィーチャーした「I Don't Wanna Stop」など、うたものがカッコイイ。Hip-Hopやソウルを大胆にとりいれているので、もし王道的なディープファンクを求めている人は少し侵食気味に感じるかもしれないが、こうしたおもしろさが、「現在進行形」っていうことなのだろう。

□引用・リンク
http://f416.sakura.ne.jp/archives/2007/08/31_2350.php


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

 ブログを書くという段になって、改めてブログがどのようなものなのかを調べてみたが、その疑問は解消されるどころか、いっそう深くなってしまい、とても困っている。というのも、エンジン検索や、ブログランキングから、いくつかのブログを見て回ったあげく、(企業運営のブログや選挙広告のブログなど団体運営のブログ例外として)、ブログの消費のされかたが必ずしも気持ちがいいものではなく、昨今のブログ問題をさしひいても、情報媒体として健全な印象をうけない(もし、健全な情報媒体があればということだけれども)。

 ブログは、個人アーカイブの作成ツールとしては、テキストの編集・管理がしやすくて、画像アップ・リンクも簡単で、とても便利である。おまけに、アマゾンへのリンクという、家計簿機能を利用した、コンテンツのお財布管理もバッチリで、音楽ファイルや動画ファイル用として、ちょっとした個人用のサーバーとしてもつかえる。
 このような考えが強い人にとっては、ブログは必ずしもコミュニケーションツールではなく、書評のため底や、データ整理のツールとして利用しており、それはそれで、ネットの有効な活用だと思う。しかし、実際には、あまりに個人的な内容のブログをみかけたときには、たとえ記事がどれほど優れていても、気持ちのいいものではない。

 実際にブログを開設して、テキストをパブリックなものとする段階になると、どうしても読者を意識せざるをえない。普段の生活をアップしているweblogでも、普通の日記とは全然別物で、読者を意識して書いた文体(新井素子みたいな...)でかかれている。また、デザイン的なテンプレートやブログパーツ、おまけに動画サイトのリンクなどが、こうしたサービス性を助長して、ブログランキングの上位の多くは、動画サービスやMP3リンクを扱っている。当然、テキストもそれに沿う文体や内容が多く、それはそれで、ブログとしては健全だと思う。しかし、こうしたサービス精神のあるブログの多くは、ローカルなコミュニティができあがっていて、アニメ批評や、起業系ブログなどでは、出版会社の劣化マーケッティングのごとくで、サラリーマンビジネス教養講座みたいなブログなどは、どうしようもない哀愁であふれている。よく言われるように、見たいものしかみえない、視野矮小の増幅装置となっているのが実情。ある意味では、ブログの最も有効な活用法って、ソースの伝達というか、二次情報としてなのかもしれない。

 もちろん、このブログは、前者にあてはまり、言葉の練習場所として使っているのだけれども、他人に見てもらいたいという気持ちがないわけではなく、けれども、露骨になるのはイヤ、というわがままである。まぁ、ブログに限らず、言葉をパブリックにするっていうのは、ホントに難しいことだと感じたわけです。財布のなかみがないうちに、どれを買うか迷うのはバカらしいので、カウンタが3桁になってからでも、考えるのは遅くないかなぁ。
テーマ:雑記 - ジャンル:ブログ

週刊 ダイヤモンド 2008年 10/18号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2008年 10/18号 [雑誌]
(2008/10/14)
不明

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 いくら年齢を重ねてみても、購買意欲っていうのは、「おまけ」に左右されてしまうものだなと感じさせられるのが、「週刊ダイヤモンド」のベストセラー通りすがり。忙しくて、メインの記事に目を通せないときでも、これだけはつい読んでしまう。軽快で、軽々しい口調には、イライラする人もいるかもしれないけれど、やはりこの言葉の選び方は絶妙。原稿用紙1枚分で、これだけのインパクトを与えるっていうのは、まさに職人技。

 コピーライターや小説家よりも、ある意味、センスが必要とされるのではないかと、思わせる文は、ユーモアと博識と、事情通が読者をかどかわせる。この、はす、にみるような態度は、けっして大人が子供に真似してほしくはないものだけれども、子供からしたら大人にはぜひ見習ってほしい余裕をもっている。

 最近では、大学生はおろか、高校生さえもが、起業を考える時代。就職前に、ビジネスについての知識を得ようと思って、ダイヤモンドを読むものの。そこにあったのは、裕福や社会に裏打ちされた自尊心など、ホントにいるの?といった、すました大人顔だった。




□引用

朝バナナダイエット朝バナナダイエット
(2008/03/01)
はまち。

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□確かに猿は痩せている
 幼稚園のちびっ子たちのおやつにバナナを持っていこうと思ったら、とても品不足でした、バナナに何かあったのですか?―――とはネットのQ&Aサイトに9月28日付で挙がった質問。そう、今ニッポン中でバナナが品薄です。
 きっかけは19日の夜にTBSが放送したダイエット特番。朝はバナナ一本と水だけなんて原料法を紹介し、それを試して効果あったのがデブタレの森公美子だったせいか、翌朝からバナナがバカ売れし始めたそうな。
この朝バナナ法、すでにいくつかの指南書があって、その最初はどうやら3月に出たこの本。6月に続編、8月には文庫版まででてて、タイミング的にTVとコミの商売臭も漂うなか、類書もあわせて70万部突破とか。バナナが売り切れゆえ、本だけ買うってワケわかんない人も多いらしい。
 「あるある大辞典」納豆ダイエット騒動も喉元過ぎればなんとやら。あたればデカいから尽きないんだよなぁ、愚衆相手のサービスって。



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Re:Package(初回限定盤)Re:Package(初回限定盤)
(2008/08/27)
livetune feat.初音ミク

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 理想的なアイドル(偶像)は、視聴者がうっとりする顔をもって、視聴者が喜ぶ話し方をして、視聴者の望むべき姿で、視聴者をとりこにする。アイドルは、そうした理想像を目指して、マーケッティングとしてつくられる創造物(想像物)である。こうした市場的な操作性を欠いた人物は、アイドルでなく、カリスマと呼ばれ、見たくない世界が見えないネットではカリスマは表れないが、逆に見たい世界が見えやすいネットでは、アイドルは生まれやすい。

 昔のアイドルについて、ぼくが知っていることはほとんどない。現在のアイドルについても、まぁ知っていることなんてないのだが(何しろうちにはテレビがない)、初音ミクは、ある意味、アイドルの完成形なのではないかと思う。Vocaloidで曲をつくって、初音ミクにのめり込んでいる限り、彼女は、この作曲者の想いのままで、作曲者を絶対に裏切らない。彼女は、煙草を吸って補導されたり、ファンのストーキングに悩んでベランダから飛び降りてみたり、あるいは彼女が他の男性と性交することなんて、絶対にない。液晶の前に座っていれば、見たい姿をみせてくれ、液晶の外で、彼女についての外部情報を聞くことはまずない。もし、視聴者たちが初音ミクというアイドル像に共有した情報をもてなくなり、流行から取り残されても、各視聴者にとって固有の初音ミクはきっと残るだろう。

 と、いかにも、オタク批評の的になりそうな初音ミクだけれども、初音ミクをヴァーチャルアイドルとして、批評的にみるよりも、秋葉系の音楽としてみたほうが、ずっとおもしろい。

 ぼくにとっての、秋葉系音楽の原体験は、Domitri From Pariの「ネコミミモード」で、当時はこうした、渋谷系が秋葉系をサンプリングするといったおもしろさは、シーンとしては、全くなかった。今では、Beckがゲームボーイを改造した音で、リミックスをしてみたりと、海外アーティストが、こぞってチップチューンミュージックを的にしている。もちろん、日本でも、ジャケットも音も16bitのYMCKにはじまって、パフュームや鈴木亜美などを擁する中田ヤスタカが、売れている。
 
 オルタナ世代にとっては、アンダーグラウンドの球根が、その方針を残したまま大きくなったもののリアルタイムは珍しく、すごく新鮮な気分で音楽をきける。パラパラやディスコ音楽みたいな、トランスミュージックを改編して楽しむって、ことは日本でもあったけれど、チップチューンにかけては、やはり日本がイニシアティブをもっていて、ゲームミュージックや電波ソング(広くはノイズ系も)は、ほってみると、けっこう楽しめる。熱狂の分だけ、冷めるのも早そうだけれども、とにもかくにも、音楽が共有できるって、本当に楽しいことなんだなと、フラワームーブメントやマッドチェスターをうらやましがったりする。








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true tears vol.4true tears vol.4
(2008/06/25)
名塚佳織吉野裕行

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 美少女ゲームから移植して、好評だった数少ないアニメで、そこは、efと同様。[関連記事]作画をみれば、その手のアニメだとすぐにわかってしまって、手をだしにくいタイプだが、作画監督が関口加奈味(攻殻sssの作画監督)、音楽監督が若林和弘と、豪華スタッフ。また、制作会社が、アニメ舞台の富山で活動しているという、妙な話題性をもっている地方会社。さらに、原作とはテーマが共有なだけであって、完全にオリジナル作品とのこと。

 作画、音楽、人物描写、演出などが高いクオリティーでまとまっていると評判がよく、確かにとおもう。まぁ、アニメでの「高いクオリティ」という評価の表現は、あてになるものではないけれど、この色彩設定やライティングなどは、まず他のアニメではみられない。音楽監督については、すでに裏打ちされた既得権益。キャラクターデザインについては、ややオタク要素があって体のラインが細いが、表情変化が豊でみていて気持ちがいい。その中でも、(アニメとして、という意味あいにおいて)、ストーリテリングのオリジナリティが高く、新しい。


■これ以降で物語・作品に関する部分を少しだけ明かしています。


 簡単に、ストーリについて、
 男子高校生の主人公は、その幼なじみと互いに好いているが、ノエという不思議な空気をもっていて快活な少女に出会いお互いに魅かれあう。主人公と幼なじみの間には、血縁的ないざこざがあるが、その問題が解きほぐれたとき、最終的に主人公は幼なじみを選ぶ。

 途中までのストーリ構成は、村上春樹の「ノルウェーの森」に近いと感じる。 ノルウェーの森では、直子が死んで、緑を受け入れるかたちで、ストーリが収束する。実際、ワタナベは何も選んでなく、自分や他人を傷つける選択を避けている。でも、このアニメは、世界系的なメタで、おしつけがましいエンディングを選択せず、それぞれの登場人物が痛みもって成長する、正統なジュブナイル・群像となっている。ノエという登場人物は、オタク的な登場人物としてみえるが、世界系の物語の登場人物とはみえず、彼女の選択した行為が現実的に物語を進ませている。普通、アニメのマーケッティングとしては、こうした不整合な登場人物が、ストーリを飛躍させるものだけれども、ノエは現実的に傷ついて、現実的にそれを克服しようとする。
 まぁ、たんに、アニメの形式でなくとも、月9ドラマ・フォーマットでも、少し手を加えれば通用するだろうなと。ただ、アニメで、こうしたストーリテリングにお目にかかれるのはけっこう珍しい。
 
 村上氏は、94年以降、おしつけがましいストーリーの収束を避けるようになっているが、ふとみたアニメで、オタク的なアニメも、世界系的な小説も変わっていくところでは、変わっていくものだと感じた。


■追記:アニメの舞台となった地方が「聖地」として、観光でにぎわっているが、これが観光でなく地域産業と発展すればなぁ、と興味本位で思う。






深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)
(1994/03)
沢木 耕太郎

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 「東京をのぞこう」とは、乗り合い観光バス会社、はとバスのキャッチコピー。『深夜特急』とは、乗り合いのバスをメインに、デリーからロンドンまでいくという世界スケールの紀行文。新しめの紀行文は、「電波少年」など、企画としてのバックパックに、いやがおうにも毒されているところがあって、こうした70'の紀行文の文体はけっこう貴重に感じていたりする。
 旅行・紀行文っていうのは、ある意味文壇なんかよりも、もっと排他的な世界で、その本を読んだことがない人に対して何もいえないんだけれど、とりあえずこれは作者本人が、1970年代にしたバックパッカーのノンフィクション構成(脚色的にはフィクション)。

 昨今の、若者のバックパッカーの主流と言えば、円高がみせてくれる魔法、外こもり。ぼくも、外こもりに挑戦したことがあるが、最初の目的地がマカオ・香港。不動産バブルの真っただ中で、あえなく失敗。燃油チャージ、タイでのクーデター、中国・ミャンマー民族紛争、テロリズムなど、世界不振のなか、海外旅行需要も激減で、バックパッカーも需要減。手頃で、なおかつ新鮮な刺激がえられるとは、本の売り言葉。
 
 社会日常をなげだして、思うがまま自由に行動するっていう点では、いまのひきこもりと同じ。
あれっ、全然ちがうか。

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S-Fマガジン 2008年 12月号 [雑誌]S-Fマガジン 2008年 12月号 [雑誌]
(2008/10/25)
不明

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 宇野常寛氏と中森明夫氏が対談をしている。この記事を読んではじめて、これまで大塚英志氏が東浩紀氏に、政治語りについて、くどくど言っていた(正確には50代批評家の小言が増え始めた)理由がわかった気がした。[過去記事]
 そもそも、このあたりのサブカルチャー系の人たちが書くものが批評と言えるかというと、疑わしいもので、彼らが文壇を批判しているように、文壇も彼らの批評を「批評」と認めていない。そしてこういう流れになる。

中森:「言論というのは多分に政治的なものですよね」
宇野:「それは、東移行に位置する若手論壇の限界とも言えると思います」

中森:「批評はやはり必要だと思っていますか?」
宇野:「なくてもよいものだと思います。しかし、あったほうがおもしろく世の中を渡っていけるんじゃないんでしょうか」

 中森氏は、この世界に長く腰をすえているわけで、やはり大塚氏と同じような老婆心で言っているが、なんてことはない。東氏や宇野氏には、目的やイデオロギーがないと指摘、というより注意しているわけである。どれほど腐った既得権益亡者の論壇批評家でも、フェティシズムな文芸賞審査員にも、これまでは、確立させたいものをみんなそれなりにもって、確信犯的に動いて、とりあえず正しいとか悪いとかの価値基準はおいといて、権利獲得のためのツールとして批判があったはずである。
 9/11事件をきっかけに、高橋源一郎、中沢新一などが政治・権力という手あかのまみれの、でも今、必要な批評をしはじめた。サブカルチャーをフィールドとしていた宮台真二や大塚英志も、こうした政治性の必要に気づいているからこそ、天皇や憲法について語っている。
 だからこそ、80'、90'生まれの政治語りを知らない若者たちに、中森氏や大塚氏が、こうしてくどくどいっていたのか、と気づいたぼくは、今さらな話。
 まぁポリティカルになれと強制する時代でもないけれど、なくてもいいはずの批評をしている宇野氏が、佐藤祐哉の小説に危機を覚えて、義務感で批評しているっていうのも、あまりに個人的な話すぎる。(確かに佐藤祐哉の小説が三島章をとったときには、ぼくも苦笑いしましたが...)
 一方で、東氏は政治的無関心ではあるが、権力の暴走が技術的な管理社会につながる危惧を感じている。今、東氏が小説を書いているというのも、批評にむいていない、批評に政治性をもちこむことにバイアスを感じて、別のみちを模索しているのだろう。

 批評が異種混合格闘技とはよく言ったものだけれど、戦っている人が何かを賭けているほうが、読み手としてはおもしろいんだから。ここらへんで批評者にも、批評マニフェストなるものをつくってほしいな、っていうのは某番組の戦略か。


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Jポップとは何か―巨大化する音楽産業 (岩波新書)Jポップとは何か―巨大化する音楽産業 (岩波新書)
(2005/04)
烏賀陽 弘道

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 音楽産業が不況と呼ばれているが、「国内企業に限っての話だろう」、と思う人も多いはず。メディアとしてのCompact Discが廃れても、I-podを筆頭にHD型のプレイヤーが需要をのばしており、むしろ10年前より(Jポップバブル;宇多田が500万枚という中古市場を壊滅させるような記録をたたき出した頃)、音楽に触れる機会が増えていると感じるはずである。では、なぜに音楽産業が不況といわれているのか、この本は間接的に、しかし、とてもわかりやすく答えを示してくれている。

 音楽産業は、ソフト(楽曲)そのものを流通させることで潤う産業であったが、こと日本においては、その下部構造となっていたのがSonyのCD開発にみられる、ハード面での躍進であった。今、こうした下部構造を担っているのはAppleである。つまり、下部構造となる役割をAppleに奪われた結果、ソフトの楽曲さえもが、I-tunesなどの楽曲配信なる、日本の物資メディア(CDやMD)の流通とは異なるかたちで普及してしまった。ソフトは何らかのかたちで、ハードに追従するため、CDプレイヤーからHDプレイヤーの移行は、ソフト流通のイニシアティブの移行でもあったといえる。

 ここ最近、大手レーベルがJポップでの洋楽を意識しはじめたのも(安室奈美恵などに顕著)、これと無関係ではないだろう。BRUTUSでは、2008/09/01号では「日本語で歌おう!Jポップ特集」という特集が組まれている。このカラオケという戦略も無視できない。確かに、楽曲配信においては、日本は海外に出遅れたが、MIDI規格においては、むしろ日本のほうが早くから、その可能性に気づいていた。Jポップバブルのソフトの大量生産を可能にしたのも、MIDI・サンプラーである。現在の着メロなどのビジネスモデルはその成果であり、その先駆といえるのがカラオケである。20数年間も生きていると、こうしたパラレルな現象におめにかかれるものである。音楽産業の市場の目安となる、著作権使用料に占める割合は、いまではパッケージメディアで大幅な減少、演奏(ライブ)、通信で増加している(週刊ダイヤモンド 2008/08/23)。

 話はそれるが、流通革新は、環境的にもうしぶんなく、コストは安くすむ。その一方で、LPプレスなどの独自の文化・技術が廃れていくのも事実であり、Primal Screamなどは、このような危惧に対して、新曲をLPでだすなどの活動をしている。またロンドンのアンダーエイジのレーベルなどは、DIY精神が強く、かれらも同様にプレスしている。チップチューンミュージックをはじめとして、最近では初音ミクなど、電子音楽と既得権益が強い日本ではこうした風潮は無意味なんだろうな。

 それでも、この鳥賀陽氏、オリコン株式会社相手に、オリコンの情報操作を訴えるなど、現在の日本の音楽産業にアンチテーゼを投げかけている。


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猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)
(1979/07)
カート・ヴォネガット・ジュニア

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「本書には真実はいっさいない。」-略-「わたしをジョーナと呼んでいただこう。」


 「ジェイルバード」で経済を八つ裂きにして、「スローターハウス5」で戦争を火あぶりにして、「チャンピョンたちの朝食」では芸術をたいらげた。そして「猫のゆりかご」では、科学を否定して、宗教をも否定した。ニヒリスティックな宗教の聖典は、「本書には真実はいっさいない」と、読者が物語にのめりこむことを拒み、「わたしをジョーナと呼んでいただこう」と、虚構的な物語を前進させる。

 ヴォネガットは、読者をつかまず、はなさず、物語を進めていく。高橋源一郎や村上春樹などのポップな文体は、今ではありふれたものとなっているが、ヴォネガットのそれには、下品な気品さがある。洗練されたロジックで、子供みたいに悪態をつき、主人公はたえず愚痴をこぼしながら、そして自己実現を完遂する。はたから見ているとうらやましいが、当の本人は不幸で仕方がない。つまり、普通そのものの生活だ。

 登場人物はきまって悲観的で、自己否定を繰り返しているが、ヴォネガットの作品がSFと括られるように、ストーリーは進化みたいに、前進を義務づけられている。「悲観するには、あまりに楽観的」とは、この本の言葉。

 「わたしがニヒリストになるのを望んでいない、何者か、または何かが存在するのだ。」
全てを否定した者が、ニヒリストになることさえ拒んだとき、キャッチーな絶望ではなく、自然と笑みがこぼれる。



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ef a tale of memories. Blu-ray BOX (初回限定生産)ef a tale of memories. Blu-ray BOX (初回限定生産)
(2008/12/26)
田口宏子岡田純子

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 美少女恋愛ゲームからの移植で成功した希少なアニメの一つ。
 うっとおしいほどの過剰演出がめにつく。でもある意味では、この過剰演出がアニメ移植に一役かっているかな、とも思う。

 色彩演出のせいで目がチカチカする(OPに新海誠がかかわっているので、当然といえばそう)、画面構成(二次元的を題材としている構成、オリジナルではできそうにない画面の切り取りかた)、文字の積み重ねによる病みキャラ表現(11話のみやこの崩壊の描き方)、と演出・画面構成が美少女ゲーム要素満載のつくり。ストーリと演出が大きく乖離していて、無駄に背景が凝っている、これも(悪い意味で)美少女ゲームと同様。
 
 当然美少女ゲーム移植なので、萌えキャラに、(危険な意味で)萌えられる。これができていない移植作は多く、萌えがメディアミックスを媒介として原作からしか生まれていない。個人的には別にかまわないが、少なくとも、自分たちの作品のリーゾンディーテルぐらいは主張してほしい。

 脚本は、二つのストーリが交互に進んでいくものの、話としては、別々にしてもいいんじゃない、と思うストーリー内容。でも、これも美少女ゲーム特有の、多重な進行の脚本構成をうまく、アニメという一方進行の脚本におとしこめているので、うまいっちゃうまい。

 これまでの移植アニメは、脚本や世界観は原作に忠実なのだが、このような美少女ゲーム賛美的なつくりをしていなくて、無難なラインだったので退屈だったが、これはおもいっきりやっていて、そこがいい。というか、まんま美少女ゲームやってる感じが得られるアニメ。
 最初は、否応なく日常ターンが退屈で、演出がうざくて、キャラのしゃべり・衣装がどうしようもなくひどくて、フラストレーションたまって.......でもやってるうちに脳内麻薬的にそれらが気持ちよくなってしまい、最終的にはメタ設定でどうしようもないストーリにはまってしまうという、あまい世界。




Think Tankとは

 諸分野に関する政策立案・政策提言・ときには自身のアーカイブ作成を業務とするBlog。

 19世紀後半に「社会改良運動」を目指して英国で創設されたフェビアン協会、20世紀初期に「米国型リベラル思想」に基づいて創設されたブルッキングス研究所などが、シンクタンクの始まりと言われており、21世紀初頭にはThink Tank(Blog)が創設された

 欧米においては、そのほとんどが非営利団体という形態を取り、政策研究を展開し続けているが、日本のシンクタンクの多くは、営利企業の一部であるため、個人の問題は社会問題としてではなく、自らが考えなければならない。そのためこに、ここにThink Tankが創設された



 「よくページ刷るな」と、あいかわらず新書が厚い大塚英志の一冊をとってみた。ここのところ、東浩紀からも遠ざかっていたので。

 大塚氏がもってくるのは、「政治権力の暴走」について。でも、東氏が関心をもっているのは、政治権力そのものではなく、それを支える公的な、あるいは私的な「技術の暴走」について。二人の関心に齟齬があって、話が収束していかない。

 そもそも、その関心に対する動機についても、両氏とも義務感みたいなことをいっているけど、ちょくちょくでてくるように、啓蒙とか使命感とか、東氏の義務感はかなり信頼できなくなるところまできている。まだ憲法改正、自衛隊批判とか実際的に活動している大塚氏は信頼できなくもない。しかし、これまでの大塚氏の意義は、疑問を発すること自体にあったけれど(風雲児として)、こうしたヴァイタリティも、成果がでなければ、いつまで続くか(大塚氏にとっての成果は、若者に考えさせることだから、自費出版でもだせれば、別にいいのかもしれないが)。

 しかし、東氏が大塚氏の議論にのらないのもわからなくない。一般的には、大塚氏にはフォロワー・パトロンが少なくて、評価を裏付けるバックグラウンドがない。東氏や宮台氏であれば、議題の前提となる暗黙の了解があるが、大塚氏にはそれがない。(「東浩紀、あぁ、あの情報社会をベースにしたオタクね」、「宮台しんじ、あぁ、あのブルセラをベースにした天皇ね」)しかし、「大塚英志、あぁ、角川のマーケッティングをベースにした左翼ね」とはならない。

 なので東氏が議題に上ろうとしないのを見ていると、ある意味で、この人も一般人としての振る舞いをみにつけたのかなと、思わないでもない(大塚氏を卒業するときがきたのかと)。
 大塚氏の場合、大学の専攻(文化人類学)などから読み取っていかないと、何言っているかわからないところがあって、マスメディア的にはどうしても受けが悪く(ブルセラとかオタクとか共通ワードが欠けている)、議論できる場所はあるが、これができる素地がある場所はない。

 ここは思い切って、「おたく」を「オタク」にして、東にのっかるのも悪くないかも...

 大塚氏は、かなり力をいれて、議論をしているので申し訳なく感じるが、権力や憲法について語るよりも、だらだた消費してJavaスクリプト書いたほうが、まともな食(職)にありつける可能性が高いのも事実なんだから。[関連記事Link]



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EP C/BEP C/B
(2006/02/06)
Battles


 

 Mathematical Rock

 なんだかこう書くと、特殊な鉱物のようにひびくが、ロックミュージックのジャンル。意味としては、変拍子のリズムを多用したロック。
 はじめて目にしたとき、「数学」と「ロック」という言語の組み合わせの悪さに、違和感があったが、聴けばなるほどの類いのものである。60'に、プログレの左翼が、インテリ的な振る舞いをした過去があるように、知的なものとロックとの相性はよい(もちろん、落とし穴もある)。

 どうやら、このジャンルでは、リスナーの解釈、というか楽しみ方が二通りあるらしい。一つはBattlesChevreuilDon Caballeroに代表される、あらゆる楽器のリズムを分解して、再構築している音。これは、Corneliusの音を地で演奏でやっている感じ。リズムは解体されているが、音色やコードは、Post Rockと似ている。
 もう一つの聞き方は、ヘヴィメタルのような高速のリズムに、変拍子はそれほど多用しないが、1音、わざと音程をずらしたり、少しリズムを変えたりして、変化をもたせたもの。同じフレーズの微妙な時間差をつけた録音によって、不協和音をつけたりと(King Crimsonのディシプリン)、手法的に既存のもの。代表的なバンドは、Tera Melos...。

 どちらも、しだいに高揚感が高まっていくタイプの、センスのいい気持ちのいい音楽である。が、どうしても、リズムとして一番自由なギターがかってしまうジャンルなので、ギターのエフェクター選択一つで、つまらないメタルとなってしまう危険が高い(実際そういうトラックがかなりある)。
 auto automaticの『auto automatic』を聴いたとき、アルペジオと、ドラム、ベースのリズムの精緻なかけあいによる楽曲構成のすばらしさに、ほれぼれしたが、アルバム最後のトラック(samurai showdown at the university of tampa)で、ギターが音量を上げて、歪ませたときに、このジャンルの不確実性が、まさにリーマンブラザーズのごとく、わかった。


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TropidelicoTropidelico
(2007/11/13)
Quantic Soul Orchestra



I Bet You Look Good on the... [7 inch Analog]I Bet You Look Good on the... [7 inch Analog]
(2008/02/18)
Baby Charles




 ここ最近、ファンク/ソウルの新鮮な音をよく耳にする。The Baker BrothersFunkshone、Boston Hornsなど、ディープファンク・リヴァイヴァル勢がすばらしい。またファンクのグルーブを保ちつつ、新しいことをやっているバンドも多く、TheNewmastersoundsThe bamboos、ファンクミュージックの層の厚さを感じさせられる。さがしても、さがしても、古くからの、でも、新しい音がすぐみつかる。

 これらの音のおもしろさは、acid jazzというか、クラブの匂いがあまりせず、生音、ライブ重視なところだと思う。まさに、『102%』(The Newmastersounds)のライブアルバムが、タイトル・音ともにそれを象徴している。Boston Hornsも積極的にライブアルバムをだしていて、こうした雰囲気が流れているのを感じる。

JBにしろ、Parliamentにしろ、やはりよいファンクミュージックは、ライブで生きてこそだ。

逆説的になるが、そのぶん『Re:mix』(The Newmastersounds)や『Transition Transmission』(The Baker Brothers)などの音源では、練られたリミックス・編集がなされていて、おもしろい。

 こうした生音・テクニック重視のディープファンクのなかでも、The Quantic Soul Orchestra(Tru Thoughts運営のWill Hollandのバンド)はとても魅力的。パッカーシブなホーン、歪ませたカッティングをきくと、スタジオの自由さというか、ふと現れる感覚的な部分が、いままでにあまりなかった(フロアではありえない)魅惑をもっている。ストレートなファンクでありながらも、ブレークビーツ、ラテンが、オーセンティックで巧みな演奏で混ざり合っている。

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