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キング・オブ・スティング (ハヤカワ文庫 NV ク 19-1)キング・オブ・スティング (ハヤカワ文庫 NV ク 19-1)
(2008/07)
マシュー・クライン

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新宿南の紀伊国屋で平積みになっていたのが、これ。ハヤカワ文庫の棚だったので、SFかと思ったのだが、そうではなく”コン・ゲーム”(confidence game)と呼ばれるジャンルであった。このジャンルは騙し合い、詐欺を主題としてギャングやマフィアといった世界を題材として描かれるようであり、イギリスやアメリカでは市民権を得ているらしい。

 しかしこの作品は、まぁ紀伊国屋で平積みされていることからも想像できるように、あくまでエンターテイメントとして書かれている。
 オンボロアパート住まい、家庭問題、三流の赤字ビジネス、といったどこにでもいそうな情けない男を詐欺師とした一人称で話は進む。その他の登場人物の色づけもうまい。文字Tシャツといったオタク的なプログラマー、謎のブロンド美女、どうしようもなくダラケタ息子など、セオリーに則って書かれている。
 一般に想像しがちな、ギャング・マフィアを主題としたものとは少し違うもので、日常的な感情移入ができる。全体的にステレオタイプすぎる感もあるけれども、丁寧に書かれていて、イメージがはっきりしている。

 何よりも、軽快な文体と剽軽な口調がきもちよく、テンポがいい。夜に読み始めてしまい、翌日大学をさぼるはめになった。傍目に情けない50代の男が、切れ味のいいユーモアをもっているってことだけでも、どのような文体か想像できるはず。まぁ、能ある鷹はなんとやら、ってのはこの作品のキーではあるのだけれど。

 情けない男がもつ良さっていうのは、現実で気づきにくい。でも、フィクションではどうも愛らしく感じてしまう。イギリス人やアメリカ人ってのは、こうした書き方がホントうまい。日本の場合、情けない男を主人公とした良作って、太宰ぐらいしか思いつかないんだけどね。  えっ、全然愛らしくない?


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深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)
(1994/03)
沢木 耕太郎

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 「東京をのぞこう」とは、乗り合い観光バス会社、はとバスのキャッチコピー。『深夜特急』とは、乗り合いのバスをメインに、デリーからロンドンまでいくという世界スケールの紀行文。新しめの紀行文は、「電波少年」など、企画としてのバックパックに、いやがおうにも毒されているところがあって、こうした70'の紀行文の文体はけっこう貴重に感じていたりする。
 旅行・紀行文っていうのは、ある意味文壇なんかよりも、もっと排他的な世界で、その本を読んだことがない人に対して何もいえないんだけれど、とりあえずこれは作者本人が、1970年代にしたバックパッカーのノンフィクション構成(脚色的にはフィクション)。

 昨今の、若者のバックパッカーの主流と言えば、円高がみせてくれる魔法、外こもり。ぼくも、外こもりに挑戦したことがあるが、最初の目的地がマカオ・香港。不動産バブルの真っただ中で、あえなく失敗。燃油チャージ、タイでのクーデター、中国・ミャンマー民族紛争、テロリズムなど、世界不振のなか、海外旅行需要も激減で、バックパッカーも需要減。手頃で、なおかつ新鮮な刺激がえられるとは、本の売り言葉。
 
 社会日常をなげだして、思うがまま自由に行動するっていう点では、いまのひきこもりと同じ。
あれっ、全然ちがうか。

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:本・雑誌

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)
(1979/07)
カート・ヴォネガット・ジュニア

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「本書には真実はいっさいない。」-略-「わたしをジョーナと呼んでいただこう。」


 「ジェイルバード」で経済を八つ裂きにして、「スローターハウス5」で戦争を火あぶりにして、「チャンピョンたちの朝食」では芸術をたいらげた。そして「猫のゆりかご」では、科学を否定して、宗教をも否定した。ニヒリスティックな宗教の聖典は、「本書には真実はいっさいない」と、読者が物語にのめりこむことを拒み、「わたしをジョーナと呼んでいただこう」と、虚構的な物語を前進させる。

 ヴォネガットは、読者をつかまず、はなさず、物語を進めていく。高橋源一郎や村上春樹などのポップな文体は、今ではありふれたものとなっているが、ヴォネガットのそれには、下品な気品さがある。洗練されたロジックで、子供みたいに悪態をつき、主人公はたえず愚痴をこぼしながら、そして自己実現を完遂する。はたから見ているとうらやましいが、当の本人は不幸で仕方がない。つまり、普通そのものの生活だ。

 登場人物はきまって悲観的で、自己否定を繰り返しているが、ヴォネガットの作品がSFと括られるように、ストーリーは進化みたいに、前進を義務づけられている。「悲観するには、あまりに楽観的」とは、この本の言葉。

 「わたしがニヒリストになるのを望んでいない、何者か、または何かが存在するのだ。」
全てを否定した者が、ニヒリストになることさえ拒んだとき、キャッチーな絶望ではなく、自然と笑みがこぼれる。



テーマ:本の紹介 - ジャンル:小説・文学


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