2009/09/23 (Wed) 公務員論
2008/11/19 (Wed) 名曲とは、なんぞや
2008/11/01 (Sat) Think Tank

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 来年からぼくもめでたく(かはわからないが)リーマンになる。
社会や組織に大なり小なりお世話になって、なんとか飯を食わせてもらうんだろう。
これから勤める組織はどのような仕組みで成り立っているのかを知っておくことは、何かの役立つかもしれない
(少なくとも気休めにはなる)。

そこで今回準備したのは以下の3冊。

 ■ 東京都市論 進化する都市で暮らすということ 青山やすし
 ■ 石原都政副知事ノート 青山やすし
 ■ 東京都政 佐々木信夫

 ありがたいことに、都政をあつかった一般書籍ってのは多い。横浜なんかも結構ある。地方都市の行政の本だと、こう簡単にはみつからない。といっても、これらの本の大半は「行政」ではなく「政治」の都政である。半分以上は都知事の賛否。ゴシップと政治が入り交じっているような代物である。
 それでも、これらの本を読んでみて、まず感じるのは、「公務員」より「政治家」のほうが面白そうだなぁってこと(これは自分でも意外な感想だ)。
 これまでぼくは、政治家ってのはバカで、馬の骨にもならない存在だと思っていた。しかし、そのイメージの対象は、主に国会議員にである。国政だと政治家ってのはバカにみえて(そして実際そうなんだろう)、官僚のほうが賢いってのはイメージとしても、実態としても(多分)あるんだろう。でも地方だと、議会の影響力はすごく大きいんだなぁって、思うことが最近では多い。
 例えば、東京都はいま面白そうなプロジェクトを抱えている。東京五輪、外環状道路建設、横田基地軍民共用化、羽田の国際化などなど。でも、これらの最終的な意思決定は、都知事や副知事が行うことであって、一般役員がどの程度関わることができるのかは、わからない。そもそも、石原の花道をかざるために、ぼくたちがこき使われて、都政への悪評と赤字の財務が残って(退職金大丈夫?)いるだけという最悪のケースも考えられる。地方の行政とは、まったくの部外者を4年という短期サイクルで入れ替えて、一般役人はトップがバカであれ優秀であれ、知事の意思決定に従うほかないのである。これは、キャリアとかまともに考えられる職場じゃないよね~。
 例えば、いまでは外環状の計画が勃発して、騒いでいるけれど、こんなばかでかい公共投資も基本的には知事の意思決定と、その周辺の政治的力学にゆだねられている。当たり前だけれど、こうやって考えると行政の仕事はビジネスとは遠い世界である。行政の仕事は経済の合理性で決まるものじゃなくて、さっきも言ったように、政治的にきまっちゃうから怖い。議会の票とか、住民との合意形成なんてのは、不確実性で満ち満ちていて、まともな意思決定や、それに対する批判なんて、どうしてもごった煮のものでしかない。
 公務員をスポイルするシステムっていうのは、天下りとか解雇の不在とかではなくて、権利のなさにあるんじゃないだろうか?
きみたちの上司である、係長、課長はどの程度の権利をもっていて、君の意見をどこまで上流にわたすことができるんだろう?
行政の現場からくる情報が、政治に遮られることがわかっているような状況で、きみはホントに働くことができるんだろうか。ぼくはどうなんだろう?
スポンサーサイト

リバーズ・エッジ 愛蔵版リバーズ・エッジ 愛蔵版
(2008/10/09)
岡崎京子

商品詳細を見る


 岡崎京子のリバーズエッジ。技術的には、もう決まり過ぎている。一ページ丸ごと使って、右から左にシークエンス流して、それにあわせて心情セリフを配置。マンションや工場の描写を、直線だけで構成書いて、黒でベタ塗り。

 テーマからは世紀末の雰囲気が感じられなくもない。今となっては遠い世界に感じる。それは年のせい?時代の変化?今の高校生もこんな問題に頭抱えているんだろうか?それとも、ちがう問題に悩んでいるのだろうか?
 いや、違うな。これは、外からみるため、外からしか見えないギミックなんだ。あくまで近くで起こっていて、でも実感がない。そのギミックだ。

 先輩に読ませたら、「えんこうとか、どらっぐとか通過してないわ」、「これって、主人公が巻き込まれる話を描きたかったんじゃない」って。確かに、えんこう、どらっぐ、死体、からは主人公が一番遠い位置にいる。でも、一番ストーリに巻き込まれているは主人公なんだ。映画をみるように、外からみる感覚、映画の中にはいれない感じ。みられるための瞳、みえない瞳。透明で平坦な感じ。
 でも、岡崎京子はたんたんと描く。たんたんとした戦場をたんたんと描く。ストリーに無駄な起伏をつくらない。得られない欲望に、いらいらしない。何を糧として、こんな世界を描くんだろう。


ロック・フェスティバル (新潮新書)ロック・フェスティバル (新潮新書)
(2007/07)
西田 浩

商品詳細を見る


 もう、どの音楽きけばいいかわからない、ってのはよく聞くクリシェ。今になってはじまったわけではないけれど、ほんっとレーベルとか、音楽雑誌とか、ネットとかに情報が多くて、もう何がなんやらだ。イギリスのBBCのロック評論家たちがあくせくしてるのが目に浮かぶ。それでも毎年のごとくロックフェスでの「トリ」が決まり、それが市場でのメインストーリームの象徴だったりする。

 日本のロックフェスなんてミーハー、って先入観があったんだけど、お誘いの声がかかって初めてのサマーソニック鑑賞です。で、こんな本をとってみては、実は日本のロックフェスって歴史が浅いことに驚いてる。ふむふむ、フジロックは97年、サマーソニック00年からのはじまり。でも、やっぱりというか、日本のフェスは最初から規模も、アクターもでかかったようだから、ミーハー根性ってのはあながち外れた感覚ではないようね。一方で海外だとまちおこしみたいに、地元のプロモーターがほそぼそやっていたのが、話題になってビッグビジネスみたいなところもあるようね。ロックフェスを日本に定着させたり、それぞれのフェスで差別化を図ったりしている話を読むと、音楽ビジネス本としては、それなりに楽しめる。

 この本を読んで、スマーソニックのラインナップを見比べると、へぇーってなる。やっぱサマーソニックは都会型のフェスだけあって、ミーハー色が強い。今年は3日にしたせいか、若干集客力が悪そうなメンツもちらほらしているけれど。そんな中に、ちょっとはずしたものが面白い。Tom Tom Club,Specialsなどを若手の中に織り込んでたりしているところも、この本を読めばわかる。

 今のロックのプロモートからすると、2日目が盛り上がりどころかな。Klaxons,Css,the ting tings,the horrorsの流れは、Snoozer読者の若年層にはたまらんでしょう。ぼくはAphex twin,2many dj'sと堅実な1日目をまわりますが、ちょっとSonicStageのメンツ弱いかな。ぼくがPost Rock色で埋めるならば、今はRovo、Benevento Russo,Mercury Programが聞きたいところ。
 しかしまぁ、こりゃロックフェス聞きにいくよりも、ロックフェス開催するほうが断然おもしろそうだな。

 

交響詩篇エウレカセブン 13 [DVD]交響詩篇エウレカセブン 13 [DVD]
(2006/07/28)
三瓶由布子名塚佳織

商品詳細を見る


 アニメの話をするのは退屈だけれど、アニメをみるのはそこそこ楽しい。アニメの趣味性は心を揺さぶるけれど、それを誰かと共有するとしらけてしまう。でも、趣味性だけで終わらせちゃいけないんだとも思う。だけれど、他の価値をみつけだそうとするとなんか嘘っぽくて、しまいにはポストモダン的な隘路がみえてしまう。そして妥当な線が、産業的価値だったりする。例えばメディアミックスの話とかね。
 「亡念のザムド」が終わってみると、「エウレカ」と比べられていて、さてどっちもたいしたものだったけれど、エウレカが好きーとか言ってるバカがいて、そもそも何でエウレカがダメだったかまとめてみたくなったのよ。んで、「それは趣味性の意見のちがいだ」とか言われたくないし、メディアミックスの失敗としてダメだったと、駄文を書いておこうかなと。
 エウレカは、趣味性の話じゃなくて、企画の時点でダメなのよ。サブカルチャー横断っていう企画は何一つ成功していない。
 まず、時間帯の失敗があるよね。明らかに青年むけのガジェットを使っているのに、日曜の朝7時にすることの意図が読めない。クラブ徹夜あけで、へたれきった状態でみろといってんのかね。音楽監督も行き届いていないよね。OP曲、ED曲の低レベルさを見る限り、スタッフに音楽好きがいないことがよくわかる。だいたいさ、ソニーが出資している時点で、音楽をガジェットにできないことぐらい予測つくよね、監督さん。もちろんタイトルも言葉遊びで終わっている。あとSFのガジェット散りばめているよ、とかいいつつ、脚本にそれらしいものはみあたらない。何?もしかしてメカニック?エセ物理学のこと?んなわけないよね。
 つまりさ、こいつら、自分たちが、何やりたいか、わかってなかったんだよ。
 
追記:ちょっとイライラしながら書いた。我ながら呆れる駄文だから、あとあときちんと整理したい。

 
新教養主義宣言 (河出文庫)新教養主義宣言 (河出文庫)
(2007/04)
山形 浩生

商品詳細を見る


要するに (河出文庫)要するに (河出文庫)
(2008/02/04)
山形 浩生

商品詳細を見る



 これらの本は、雑誌のコラムを継ぎはぎした雑文集で、特定の知識をえようとして読む本じゃない。そもそも、著者は執筆活動が旺盛だけれども、何かの専門家ってわけじゃなくて、シンクタンクの実務屋であって、研究員ではない。でも、ここにはスペシャルな価値じゃなくて、もっとゼネラルな価値があって、それはぼくが欲しかったものだ(そして、もっている人はすごく少ない)。
 ぼくは、山形ヒロオがもっている、好奇心だとか、楽観性だとか、知識なんかは、これっぽちももってやしない。そして、少なくともぼくのまわりには、そんな高尚なものをもっている人はなかなかいやしない。経済ざっしのエコノミストだって、ゼミの教授だって、定型句をはいて満足顔している。彼らの話のだいたいは、社会がまわるように正しくできていて、そのために嘘をついているし、ぼくもそれに知らず知らずのうちに加担していた。
 この本は円滑な議論やコンセンサスなんかを犠牲にしてでも、正しいことを言っている、少なくとも正しいことを言おうとしている。例えば、
 「オウムやサカキバラ事件にも、すごいおもしろさがあるはずだ。ぼくには分からないけれど、いずれ、その楽しさを語ってほしい。」
ってなことを言っている。こんなセリフはなかなかでてくるもんじゃない。誰もが心の底では思っていても口にしないこと(言っちゃたらダメでしょっ)、でも誰かが言うべきことがここにはある。
 すごく自由で、楽しいものが広がっている。雑文だから、ネットと政治と財政とセックスが並列しているけれど、読み終わると、それらを階層化したり、区切ったり、繋げたりして理解したくなる。他の知識が欲しくなるようにフックがついている。知識そのものなじゃくて、知性への信頼感を取り戻してくれる本だ。





テーマ:雑記 - ジャンル:ブログ


| HOME | Next


Design by mi104c.
Copyright © 2017 think tank, All rights reserved.


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。